森愛 久美さんのメッセージ

人生で一番充実した一日

晴れの国おかやま24時間100km歩行」この名前を聞いたのは就職した先の求人票が初めてだった。正直、楽しそうと思うより先に「なんじゃそりゃ」と感じる方が先であった。初めて聞いた名前に、こんな大会が地元にあるのだと友人と一緒に驚いたのを今でも覚えている。練習の回数が増える度に、大会の日が近付く度に同期達と不安を感じては誤魔化すように「大丈夫だよね」と言い合った。その大会に、私は今年、チャレンジャーとして参加した。大会当日、万全の体調と足でスタート門を前にした。一緒に歩くチャレンジャーの同期達と肩を組んで声を出す。その頃には練習のときの不安など吹き飛んでいた。もしかしたら完歩できるかもしれない、と心のどこかで思っていた。11km地点。大会やのだ初のサポーターの方々が出迎えてくれた。「ちょっとペースが遅いかも」とは言われたが、「それでもゆっくり自分のペースで歩いていきなさい」と言われた。まだまだ元気。共に歩いていた友人も元気そうで、二人で橋の上で「スイッチオン!」という掛け声に大きな声で返した。
30km地点。今まで一緒に歩いていた友人とついに別れる。最初から、「どちらかが遅れだしたら見捨てて先を歩こう」とずっと話していたから、逆に良かった。少し寂しくはあったが、持っていたiPodで音楽を聴いていた。しかし、なかなかつかない備前体育館に徐々に不安を感じることになる。自分の立てた目標時間よりも随分遅れていることを自覚していたからかもしれない。「自分は、24時間100kmなんて無理なのでは?」という思いが頭のなかで暫くぐるぐる回っていた。
しかし、備前体育館を目前にした山の中、その不安を打ち消すようにすれ違った参加者の方と話をして気持ちは変わった。数年前にも参加して、今までの数年間は医者から参加を止められていたらしい。涙を流しながら話してくれたその人に釣られて私も涙を流しながら、「絶対、完歩しましょうね」と暫く共に歩いた。その後私のジャージを届けに来てくれた社長の顔を見て気分が楽になるのを感じ、そこから備前体育館までの道はしんどくはあったが楽に歩けた。
50km地点。備前体育館からのたった10kmは、街頭の少ない暗闇を歩くだけでとても長く感じたのを覚えている。前にも後ろにも誰もいない暗闇を歩きながら、それでもすれ違う人達が「頑張ってください」と笑いかけてくれて、また涙が出てきた。声をかけてくれるだけで頑張ろうと思えたのは人生で初めてだった。「はい、頑張ります」といった言葉は恐らく伊里漁協に近付く度震えていたと思う。伊里漁協でのだ初の皆の顔を見るときは必ず笑顔だと涙を止めようとしても、社長の「頑張ったな」という言葉と頭をぽんとひとつ撫でられたことで拭った涙も再び溢れてしまったのだから、この地点の自分は相当参っていた。しかし、人の優しさに触れて、来年はここに立って後輩を泣かせてやろう、と変な決意をする。そして、サポーターとしてこの伊里漁協に来るには100km完歩しなければならないのだとより実感した。
80km地点。落ちていたスピードを上げてもらったのに、ここで倒れ込んでしまう。脱水症状だったのか、持病の症状だったのか、身体がもう嫌だと悲鳴を上げたのかは分からないが、頭痛と吐き気で倒れ込んだ。「車を呼びますか」と何度も聞かれたが、リタイアはしたくない一心で首だけ降った。「よう頑張るなぁ」と言われたが、自分の中ではただただ悔しかった。まだ頑張ったとは言えない、と思った。
そこから、コンビニが見える度に新しくなる水とゼリーを先輩が用意してくれたりなど、ここまでサポートしてくれるのは、会社で参加しているのだ初だけだと思う。
ここから足の痛みを誤魔化すように別のことを考えることが多くなり、それと同時にこれまで声をかけてくれた人やサポートしてくれた人達に対しての感謝が一気に高まった。しかしありがたみを感じるのと同時に、あんなに支えてもらって、ここまでして貰っても自分は完歩できないかもしれないという不安と不甲斐なさに泣きながら歩いていた。先輩が「間に合うかもしれない」と声をかけてくれたが、足が痛む度に不安が募っていった。
100km地点。恐らくゴールのほんの2kmほど手前で、タイムオーバーになったのを告げられた。河川敷はもう曲がって直ぐの所だった。「まだ歩くか?」聞かれた言葉に、はい、とへとへとになった声で答えた。時間を超えても、ゴールテープを切ることができなくても、皆の顔をスタートと同じ場所で見たいと思った。
河川敷が見えてくると、のだ初の社員の方々が一斉に来てくれた。黄色のTシャツ一色、知った顔を見ると早くゴールしたいという思いが強まってスピードが上がるのが分かった。後で知った話だが、この時のスピードは練習中でも出なかった時速7kmはあったという。
101.8km地点。スタートと同じゴール門と、私よりも先にゴールした仲間の姿が見えた。今まで泣いたせいか、涙は出なかった。「ゴール用の笑顔は用意してますか」と聞かれて「あります!」と答えた通り、最高の笑顔ができたと思う。仲間と一緒にハイタッチして、「おめでとう!」と背中を叩かれて、ここで初めて足が本当に痛むのを感じた。少しでも動かしたら爆発しそう、と用意してもらった椅子に座る。この先からは殆ど「ありがとう」という言葉ばかりだった。
それからは早かった。母と叔母、祖母に迎えに来てもらって、ようやく帰宅。長かった100km歩行は終わったのだと初めて実感した。疲れたという気持ちでいっぱいで、母はそんな自分の我が儘に応えてくれた。
晴れの国おかやま24時間100km歩行。タイムアウトにはなってしまったが、100km完歩できたのは、サポートの方を始めとして社員の方々や家族、通行人で声をかけてくださった方まで皆様のおかげだと時間が経つにつれ強く感じている。その力の大小は様々だが、一人ひとりが私に「100km歩き切らなければ」という思いを強くしてくれた。家族は照れくさく、社員やサポートの方々はあまりにも数が多すぎて言いきれないが、本当にありがとうございましたという言葉はできるだけ伝えていきたいと思う。
来年は自分が後輩をサポートする側だ。自分の後輩が100km歩いてから素直に感謝の気持ちが持てるような、自分にしてもらったよりももっと上のサポートを目指して、来年またこの大会に参加する。