村上 茂樹さんのメッセージ

薄志弱行 10時27分。伊里漁港のタイムチェックポイントの係の女性は笑顔でタイム内ですと宣言してくれた。リタイヤマンに肩を叩かれるか、タイムアウトになって公式にストップがかかるまでは歩き続けると決めていた。人淋しい夜の市場、ストーブの周りには数人が座って暖をとっていた。正面に座ったショートヘアの美女と目を合わせられなかったのは、すでにわたしのこころに弱気の虫がうごめき始めていたからだろう。奥にはリタイアバスがスタンバイし、次々と選手が乗り込んでいた。ここで気分を入れ替えて歩き始めるための着替えは用意していた。激しかった雨はやんでいた。湯次神社の坂道の上りはよかったが、下りは不自由な足首が辛かった。閑谷への坂をこえ、さらに閑谷緑地からの新道の坂を攻略できるか。
3月26日に仕事中に右アキレス腱を断裂し、29日に縫合・筋膜パッチ手術を受け、その後3度のギブスのまき直しでかなり普通に歩けるようになっていたが、坂の下りはギブスの断端が足の甲と脛にあたって痛かった。少年時代のフォレスト・ガンプの歩きのままだった。それまでも、備前中学を出てからも、ずっと抜かれるばかりだった。何人かは“がんばりましょう”と声をかけてくれた。うれしかった。いつもは這ってでもゴールしてやるぞと思うのに、短い時間ストーブに当たってバスをみているうちに“魔”が差したのです。閑谷地区の皆さんの手作りの煮付けとおむすびやバナナの入った差し入れも、リバーサイド和気のカレー(去年はおむすびと豚汁でした)も、リタイアを告げる自分を思いとどまらせることができなかった。収容バスで後楽園に近づいた時、競歩のようなスピードでゴールを目指している選手を見ました。すごいな。あんな足欲しい。11時半近くに住処に帰って、片足上げて湯に浸かり、ビール飲んで寝るときの罪悪感は、きっとリタイアした誰もが大なり小なり感じる最初の感情でしょう。そして快晴の朝目覚めたその時も、多くの歩いている人の列の中に自分がいないことの事実が悲しくて、むなしくて、なぜあの時自分から止めたのか、“慚愧の念に耐えない”とはこういうことなのか。
仕事場に寄ってから和気の実家への道すがら、玉柏から中原橋への旭川沿いを9時45分ごろ歩いている選手の頑張りを目の当たりにし、自分のふがいなさにフロントガラスが少し曇った。ローソンの前に座り込んだ友人を励ます選手と駆け寄るオレンジジャンパー、三人連れで中央を歩くレディの背中を片手で優しく支え両側を歩く二人のボディガード、一歩一歩は昨夜の自分と同じ数十センチに満たない足でアスファルトを摺っている年配の選手。みなさんすばらしい。
多くの若い女性ボランティアが暴風雨の中われわれを誘導してくださった。身体の芯まで冷え切っていませんでしたか、ありがとう。全てのボランティア、大会運営の皆様、ありがとうございました。完歩した皆さん本当におめでとう。あの嵐のなかを歩きとおした皆さんに心底敬意を表します。そしてその対象でない自分が悔しい。
今回降水確率が高かったので、左足にはトレッキンギシューズを履きましたが、2時間水の中を歩いても浸水しないはずの靴の中まで雨は入り込み、マメができ、帰ってから分かったことですが水を含んだシューズはとても重い。ひとつの方法ですが、雨の中は今回右足に使ったスポーツサンダルを甲が擦れないように工夫して履き、雨がやんだら乾いた靴下と運動靴に履き替えるのがいいのではないかと思いました。持ち物はできるだけ軽い方がいいのですが。また杖代わりに旧くて重いLekiのポールを使いましたが、壊れた右足の代役にはならなかった。
1年後この強烈な挫折のトラウマを払拭できるようがんばります。