髙橋 弘樹さんのメッセージ

(参加のきっかけ)
我が社のだ初では、3年前から100キロ歩行を新入社員の研修に取り組んでいる。新入社員研修に取り組む前からのだ初の関係者は100キロ歩行にチャレンジしていたため、私自身、この100キロ歩行に関わるのは5年ほどになるだろうか?
これまでサポートとは言いがたいが、応援者の立場から100キロ歩行を見てきた。歩くことが嫌いで自他共に認める体力の無さから私には縁のないものとして輪の外側から見てきた。社員から100キロ歩行に出ないんですか?と聞かれるたびに『絶対に出ん』と返答してきた。
ところが、
2015年100キロ歩行において
例年通りチームのだ初として12名が参加。結果10名が24時間以内に100キロ完歩。残念ながら、2名は24時間でゴール地点には到達できなかった。
が、この2名は最後まで諦めなかった。24時間過ぎても100キロ歩き切ったのである。
2名は一緒に歩いていたわけではなく、自分のペースで必死に歩いていたので別々でゴールしたわけだが、ゴールの仕方は同じ。
あと少しでゴールとの情報を得ると、居た堪れなくなりみんな仲間たち皆がゴール地点から逆走していく。本人を見つけ、ゴールに向かって皆で歩き出す。既に100キロ歩ききったボロボロになった体のチャレンジャーも、不眠不休で応援に来ていた者も、友人も、家族も。。。
のだ初メンバーは、『ニコニコ』と胸に書かれた黄色いTシャツがトレードマークだが、黄色いTシャツの軍団が数十名で歩く姿は圧巻だった。その新入社員本人もボロボロになりながらも皆の後押しで信じられないくらいのスピードで歩く。
閉会式も終わり、ゴールの壁もゴールテープもないゴールなきゴールへ向かいひたすら歩く。新入社員自身のひたむきな心の強さ・頑張りと、のだ初社員のひたむきな応援魂が垣間見え、感動しまくりのゴールだった。24時間過ぎていても100キロは完歩したのです。
新入社員から得た自分の限界を超える姿に感動し、涙し、自分の挑戦してみたいという感情が沸きました。

(準備)
密かな挑戦を決めてから約一年間。
1971年生まれ。身長170センチ、体重85キロ
妻より私のことを知っている上司からは、『自分を変えなければ100キロ歩行に出ることは許さない』と宣告されていた。
 この言葉は、今のままの私では100パーセント歩けないという愛ある言葉というのは理解していた。当然妻からも相手にされていなかった。
私自身、昔から運動はできたほうではあるが、あくまで単発的な運動能力の持ち合わせであり、短距離ではクラスで一番。持久走ではクラスで尻から2番か3番目という具合だった。しかも当時の体重は62キロで。。。
 おそらく若いころの自分でも100キロ歩くことは至難であるにもかかわらず、今の自分が歩けるわけがない。この100キロ歩行の挑戦は、私にとっては今までの人生においての最大のチャレンジであることを理解していた。
 
痩せる、運動し体力をつけるという目標で、動き始めた。
が、週末に7キロ歩くくらいでは、体重も落ちず、あっという間に2016年を迎えてしまった。年が明けて、100キロ歩行の申し込みをし、尻に火がついた。
 体重を落とすために、食事を変えた。炭水化物を減らし、たんぱく質を多く取るようにした。結果は、3か月でマイナス6キロ。直前では体重79キロまで落とせた。
週に3回以上、スポーツジムに通った。週に一回は、15キロを歩くようにした。100キロ歩行の練習として倉敷ツーデーマーチで40キロに参加した。長い距離を歩くことによって、靴の中敷きが合わないことに気づいた。その時から練習でも靴の中敷きをはずした。
幸い100キロ歩行の経験者が廻りに多いため色々な話、準備物、装備物などを聞いた。
また、ネットで100キロ歩行経験者のブログなどを読んだ。
 普段は我が家では物を買うのは、子ども→妻→私の順番だが、100キロ歩行に必要な物に関しては、最優先させてもらった。

(本番)
 チームのだ初(新入社員6名、幹部2名、関連会社3名、計11名)全員完歩を目標とはするものの、誰もが私が気がかりだったことと思う。私も妻も含めて。
 残念ながら、『ここまでやったから絶対歩ける、問題ない』という心の準備までは、この時点では正直なかった。不安だらけでした。
 スタート時では、雨予想で、何時から降るかはわからない。直前まで防雨グッズをリュックに入れていたが、軽量化のためサポートの社員に預かってもらった。
マメ、水膨れ対策としては、教わった通りのテーピングを足裏メインに実施していた。
 スタートして、20キロ地点のサークルKで一回目の休憩(13時40分 時速5.7k)。暑くもなく、寒くもなく、むしろ気持ちがいいくらい。ここで、おにぎり、飲み物補給。10キロごとにおにぎりを一個食べたほうが良いと聞いていた。栄養補給は必要と思う。
 22キロくらいからぽつぽつ雨が降り始めた。周りではカッパを着る人が増えてきた。24キロ地点のポプラでカッパを着た。
 雨、風がひどくなり帽子が3回飛ばされた。関節も痛くなり、向かい風も合い重なり歩くペースがどんどん落ちていった。その中で今年から加わった山道(坂道)に突入。歩いても歩いても上りが続くように感じた。ここで、同級生に出会った。彼は、9回フルマラソンを完走している体力自慢の人だ。その彼が、もう無理、歩けないとのことで、備前中学校でリタイアするとのことだった。正直なところ、一回目の心が折れそうになったのはここでした。
 最大の難関ともいうべき山道を終え、43キロ地点の備前中学校に到着。(19時10分 時速4.7k)ここでは我が社のだ初メンバーが炊き出しとしてラーメンを配っている。多くの仲間たちが出迎えてくれる。『よく頑張っている、いいペース、凄いすごい!!』
チームのだ初の頑張っているチャレンジャーたち、サポートしてくれている仲間たち、妻や子供たちの激励を背に再度気を奮い起こして備前中学校を出発。
 丁度50キロ地点の伊里漁協に到着(20時50分 時速4.6k)。50キロ地点で折り返しと思うが、100キロ歩行の場合はここが折り返しではない。後ほど述べる。
 このあたりから足裏に違和感を感じだす。マメか水膨れができた感じ。対策=足裏のテーピングは施してきたものの、どうしても雨、特に水たまりを完全に避けて通ることができなかったことが原因と思われる。
 雨がやみはじめ、65キロのセブンイレブンで、カッパを脱ぐ。水膨れのための足裏のテーピングをし直す。びしょびしょの靴下を変える。
 また、ここに、私の部署の若手達が仕事を終え、応援に駆けつけてくれていた。
一気にやる気があがり、ここからリバーサイドまではおそらく時速6~7kくらいはでていたような、それくらいのテンションだった。
 69キロ地点のリバーサイドに到着。(1時30分 時速4.5k)なにかテンションが上がっていた。カレー大盛、スープをご馳走になり、テンションが上がったまま出発。
 100キロ歩行では、このリバーサイドが折り返し地点と言われている。歩いてみて本当にそう思った。
 しばらく土手沿いを調子よく歩く。夜空には雨上がりのきれいな星空が見えた。北斗七星がはっきりわかる。流れ星まで見えた。ラッキーな気分で上を向いて歩いた。
 楽しく歩けていたのも束の間、足裏が痛み出す。痛み止めが切れた様子。このあとは、痛いところをかばって歩く代償として、色々なところに支障が出始める。痛み止めとのイタチゴッコをし、ごまかしながら歩く。当然ペースはあがらない。残り時間と残り距離を計算しながら休憩は取らないというか取れない選択をする。
 痛みを我慢し、ひたすら前を向いて歩く、歩く、歩く。眠気はあまりなかったような気がする。痛かったせいもあるかもしれない。
 残り少なくなり、いろんな地点で社員、家族が応援してくれた。速く歩きたくても痛くて歩けない状況だった。『残り○○キロ』との声かけをもらうが、すごく遠く感じた。
 ゴール地点では、社員、家族が待ってくれており、子ども2人と手を繋ぎゴール。

(最後に)
まさか自分が完歩できるとは、正直驚きました。妻も応援してくれた仲間も驚いていることと思います。ただ、個の力では到達出来ませんでした。チームとして出場し、チャレンジャー同士の励まし合い、家族、サポート・応援にきてくれた社員、運営スタッフ、ボランティアの皆さん、手薄の会社業務を守ってくれた皆さんがのおかげです。心より感謝したいです。
また、モノ・体の準備が出来たことも良かったことと思います。減量も思うようにいかなかったですが、人生で一番長期にわたり続けることが出来たし、モノの準備も怠りませんでした。準備することによって、己の100%以上の結果が出せることが改めて気づきました。何かに挑戦するときは、当日がスタートではなくもっと前の準備段階から、すぐ動くことの重要性が改めてわかりました。
心の準備は『ここまでやったんだから』という感じではありませんでしたが、挑戦=達成を繰り返すことで培われる。自信に繋がる。挑戦回数が多い人こそ心も養われるんだなと気づきました。
 今は、もう2度と100キロ歩行には出たいとは思っていませんが、之を超える挑戦をしたいとは思っています。