令和7年5月3日,私は大きな挫折を味わいました。
時は遡ること令和6年7月。私は晴れの国岡山 24時間100km歩行への参加を決意しました。
参加の経緯としては,バイト先の会社から誘われたという運びでした。
参加が決定したときはまだ1年前であり,100km歩くということも漠然としか想像できませんでした。
私は当時大学4年生で,大学院試験や卒業論文の作成などに追われていたこともあり,本格的に練習に取り組むようになったのは今年の3月後半からでした。
あと一か月半という時になってようやく練習に取り組みだしたのは良いものの,上記の通り人間が100km歩くということ自体私にとっては理解できないものであり,どの程度の練習を行うべきかどうかも手探りの状態でした。
私の練習メニューとしては,二日に一回ほどスポーツジムに行って5~7kmほど歩くというものでした。
また,一度長距離を歩いてみようということで20km歩くという練習も行いました。
まだ20代前半で,運動部に所属していたこともあり,体力には自信があったため,浅はかにも,楽観的に,まあ完歩できるだろうという考えに至ってしまっていました。
そして迎えた100km歩行本番。天気も良く,熱すぎず寒すぎずの適温の中,軽快なスタートダッシュを切ることができました。
当日の集合時に私の荷物が重いという指摘を仲間から受けたのですが,必要なものしか入れていなかったため,あまり気にせずにスタートしました。
最初の15kmほどは,百間川の川沿いを河口に向かって歩いていくというものでした。
河川敷は景色がきれいで,活気もあり,歩くのが楽しかったのを覚えています。
私自身,スピードは求めずに自分のペースで歩くということを目標にしていたため,仲間の上司とともに時に話しながら歩いていました。
また,去年まで本大会の存在すら知らなかった私は,約1000人もの参加者がいることに驚かされました。
その多数の参加者が一斉にスタートするため,初めはかなり混雑して,先を急ぐ方が困難でした。
しかし,やはり不思議なことに,人の流れというものには逆らえないもので,気づかないうちに目標にしていたペースを大幅に超過していたようにも思います。
15kmを超えたあたりから,大会での高揚した雰囲気と,私自身,体力的にも余裕があったため,仲間と別れて先を行くことにしました。
そこからは,自分でも思っていなかったような力を出すことができ,約45kmの地点の,備前中学校まではかなりのペースで歩くことができました。
備前中学校でいただいた,サポーターの皆様の声援と卵かけご飯の味は今でも忘れることができません。
しかし,罠がありました。
備前中学校までアドレナリンやその他脳内物質の影響か,気づかぬうちに本来出せうる力以上の力を出していたことで,一度座ってゆっくりすると,いざ出発しようとしても思うように歩を進めることができなくなっていました。
そこから51km地点の伊里漁港まではまさに地獄といっても過言ではありませんでした。
これまでの半分かというペースで歩き,まだかまだかと地図を見ては閉じてを繰り返していました。
伊里漁港からは暗くなってきたため,ライトと蛍光タスキを着用して歩くことになりました。
日が落ち,気温が下がり,体調ももとに戻りつつあったということで,約60km地点の閑谷学校近辺までは最初と同じくらいのペースでたどり着くことができました。
そこで, 豚汁の炊出しをいただき,残り40kmを歩くことになったのですが,不幸にも,雨が降り出してしまいました。
止まったことによる足の疲労感と,雨の中,真っ暗な中での山道は,私の心を折るのに十分な要素となっていました。
何とか下山し,そこからリバーサイド和気を目指すことになるのですが,私は足をもう一歩も動かすことはできませんでした。
下山からリバーサイド和気までの数kmは,まさに牛歩で進み,そこでリタイアを申し出ました。次の補給ポイントは約10km先であり,そこまでも起伏が多数あるということで,とても当時の状況で進むことはできないと判断したからです。
迎えを待ちながら,和気藹々と先へ進もうとするチャレンジャーを見送りながら,形容しがたい後悔を味わいました。
その時出せる力を出し切ってリタイアしたので,自責の念はありませんが,本番でのペース配分や補給の戦略,本番前の練習方法など,改善の余地が多数あり,もっと上手く戦略を立てることができたと後悔しました。
私の尊敬する上司の「100km歩行は単に根性ではなく,本番前にすべて決まっている」言葉が胸の中を駆け巡りました。
最後に,この大会へ誘っていただき,また引率してくれた上司やサポートしてくれた仲間,運営,ボランティアの皆様へ大きな感謝を送らせていただきます。
来年も出場することになったので,反省点を活かして完歩します。
田中 啓登

